2024年上半期ふりかえり: 自己満足を超えたい

ふりかえり記事を書く腰が重くなっている。というか別に書かなくてもいいんだと思う……自分が好きでやってる行為で、やりたくなければやらなくていい。それは当たり前のことなんだけど、 2014-2019ぐらいの時期にログを全く残していなかったのを後悔しているので、そうならないようにしたい。それだけな気がする

ふりかえりに腰が重い理由

今ふりかえり書くのをつらい気持ちがあるのは、人生の停滞感というのが少しくあるんだと思う。

  1. 何かをはじめたとき
  2. 何か成果を出したとき
  3. 何かをやめるとき

この3つの時点は書くことがたくさんあるけども、今は1の後で、2と3の前という谷間の時期にある。大学卒業して就職したときもまあそんな感覚だった。

一応、それなりには上手く行ってるという感じはする。60点とか70点とかの感じ。めっちゃいいって訳でもないけど、普通に考えたらだいぶいい、みたいな。そういう状態っていうのは書くことが本当にない。

でもそういう時期もちゃんと何考えてるかを書き残しておくと、後々上手くいかなくなったときに、見返す材料になる。

でも半年のふりかえりだからなあ〜年一で書く方はしっかり書きたいけども……半年の方はマジで書かなくてもいい。網羅的に色々書くというよりは、頭に浮かんだことだけ主観的に書いていく感じにするか

年齢的なことを考えることが多かった

年の前半は気持ちが落ちこむことが多かった。

今年33歳のシーズンな訳だけども、その年齢に対して欲しい成果が得られていないなと思った。

「xx歳までにxxしていないといけない」みたいな考え方を排除して生きてきたので、改めてそういう感覚になったのは謎

たぶん原因は親と兄弟と一緒に祖母を訪ねに旅行行ったことで、なんかそういう大企業入って嫁もらって子をなして的な、世間体のいい生き方をした方が良かったんじゃないかとどっかで思ったような感じはする

なんか一個自分を正当化できるくらい大きな成果があるといいんだよなあ。iOSDCの登壇採択された話とか、親にしてもすごさ伝わらないし。親族に対して自慢になるネタ? いやそれも違うのかな。なんか「親にはわからないけどわかる人にはちゃんとすごさがわかる」でいいと思うんだけど、それが弱い気がする。なんかホームランを打ちたい

リスクを負ってないからリスクを負った

気持ちが落ちこんでる理由、そういえば全然もっと大きいのがあって、FXの含み損が一時300万を超えるぐらいまで行ったのが、確実に重しになってた。

2024年1月末にポディションを取ったっぽい。これが完全に逆行った。予想よりも米景気が強すぎて、FRBの利下げが全然はじまらなかった。人生最悪のポディション。

ポディション取ったときのメンタルとしては、短期的には逆行くかもしれないけど、リスクを取って勝負しようぐらいの気持ちだったんだけど、円安のスピードがエグすぎて損切りを判断できなかった。

この数年、ノーリスクで勝負みたいなことしかやってなかったので、ちゃんと勝負してねえな俺みたいなことを思って、攻め気味にポディションを取ってしまった。完全に相場感なくなっていた。「昔やってた」っていうのは結局信じない方がいいと思った。あと正常性バイアス。160円は絶対行かないとタカをくくっていた。

なんというか、謙虚になろうと思った。未来を読むことはできないし、自分の能力を過信しない。日々できることをきちんとやる。

7月の為替相場の大変動で、ポディションは救われそうな見込みだが、まだ予断を許さない。あとショートするにはスワップがキツすぎた。全部失敗。

相場が総悲観/楽観になったときがトレンドの転換点だというのを改めて感じた。「もう円は終わりだ」という煽りをアホがやりはじめたら、それが一つのサイン。そういう温度感とか投資家の群衆心理とかを感じるには、やっぱポディションを取って、痛みを味わってないとつかめない。これもまた大事。

仕事

会社については、人間関係がだいぶ変わった。まあ入社してから人の出入りが激しい会社ではあるので、ずっと変わってはいるけど、今年入ってからは歴が長い人の退社が多かった印象。これは同業他社もそんな印象。

コロナが落ち着いて、何かと人生を動かそうという気持ちになる人が多いのかもしれない。

すぐ動くタイプの人は去年のうちに、じっくり準備が必要だった人は今年になってぼちぼちという流れなのかも。

上半期は手を動かす以外のタスク多めだったけども、徐々に新体制が安定してきて、手を動かす人に戻りつつある。そして今月はiOSDC……40分登壇は初なので、恥ずかしくないような内容にしたい。

Pieces of PaperのリファクタをiOSDCの前までに本当はやりたい。今のコード状況が良くなさすぎるんだけど、塩漬けになっちゃってる。

SwiftUI, Swift Concurrency, Swift Testingへのキャッチアップが求められている。Swift Concurrencyは会社のコードベースだといけるようにはなってる。SwiftUIをもっと習熟しないとなあ、という機運。会社のコードベースがUIKitなので、それがよくない気がする。

長らく生成AIをシカトしてたけれども、今年入ってClaudeを触るようになって、これは自分の中で革命的だった。

キャリア

色んな人が会社を離れてるので、俺も将来のことを考えたりもする訳だけども、今よりも給料が上がるとか会社大きくなるとかはあると思うけど、情熱を傾けられるプロダクトかというと違う気がする。今の労働環境/プロダクトはかなり理想に近く、今以上がちょっと難しい。あるとすればNotionぐらいだろうか。Notionで働けるとなればすぐ転職します。Mediumだとちょっと悩むかも。

フリーランスへの憧れは全然ないんだよなあ。今の働き方が俺の感覚だとほぼフリーランスみたいなもんな気がする。

コロナとTwitterという廃墟

33歳という年齢にちょっと動揺してしまうのは、ちょっとコロナのせいもあるんじゃないかと思っている。

-3するとちょうど納得できる気がする。「失われた3年間」なのかもしれない。俺だけじゃないので、みんながそれぞれ何らかのダメージは受けてるんだと思うけども。

この前2020年くらいの芸人のネットラジオ聴いていたら、「遂に都内の感染者数がxxx人超えた」「外で飲めなくなった」「ライブが中止になった」みたいな話してて、懐かしくなった。

あの時期はTwitterが人とのつながりの大半を占めるようになった。なのでTwitterでキレまくってる人が本当につらくて、昔からつながってる人でもちょっとつらくなったらフォロー解除していた。

2024年の今、TwitterはXとなって、正式に民度が終わってしまって、まともな人間は宣伝ツイートをたまにするだけの廃墟になってしまった。

Twitterは俺にとって大事だったんだな、と失われてみて思う。学生時代は悪いインターネットの使い方をしてて、社会人になって一回垢消し挟んで、そっから情報収集ツールとしてタイムラインをきれいにしたり、プログラミング垢で別垢つくったり、それを蔀アカウントに統合したり。なんだかんだで10年ぐらいお世話になったのか。

人間関係が希薄で、ただ文字処理能力が高い俺のような人間には短文投稿ツールは非常に相性が良く、本当にお世話になりました。

「分断の時代」というのは数年前からちょこちょこ聞かれるワードだったけれども、また改めて分断されたという感じがする。

色んなサービス出てるけど、ご時世的に「短文をタイムラインに流してそれを見る」みたいなサービスはもう限界な気がする。そもそもSNS自体が曲がり角に来ていると思う。じゃあこの先どうなるのかはわからない。

既存SNSがウケたのは、スマホを使ってお手軽に今の気持ちを発信できて、それにフォロワーからリアクションがつく、という点にある。それが広がって、フォロワー数に価値ができるようになって、ビジネス目的で使われるようにもなって、SNSの影響力がバカにならなくなって、そこから「発信には責任が伴う」ということが叫ばれるようになった。だから「スマホを使ってお手軽に今の気持ちを発信できる」ツールではなくなってしまった。

自己満足を超えたい

2020-2021年は、コロナで不安はありながら充実はしてたっぽい。2021年に転職してるしね。

2022年から、本格的にモラトリアムっぽい感じになった気がする。いや2022年は会社へのキャッチアップ大変とか、iOS開発スキルが上がって行ったりとか、趣味ではやりたいこと全部やるみたいなコンセプトで色々やった。

その時期はその時期で楽しかったけど、成果って意味では時間ドブに捨てたようなもん。

2023年、今ふりかえると停滞期だったのかもしれない。楽しくやるっていうのはできてたけども、なんかそれだけって感じもある。

自分にプレッシャーをかけて自分で潰れて何の成果も残せなかったのが多いので、ノープレッシャーでここ数年はやってた。真空ジェシカみたいな感じで。その結果としていいもんが出せるようになってきたと思う。それまでは自己満足の域にもいけていなかった。数字が欲しいな、と思う。自己満足を超えたい。

(了)