つまらなくなったWebとの向き合い方
インターネットがつまらなくなったという話題はもう10年、20年前からこすられてる話題だ。
そして「つまらなくなったのは時代に適応できないお前のせい」で終わる流れになっていた(この切り抜きの元ネタ、湾岸MIDNIGHTのどこ探してもなくて苦しんでたらC1ランナーの8巻らしい)。
ただ2020年代のWebの停滞感というのはちょっと異質なものがあると思っている。
そんなことをぼんやり思ってたら、他の人も面白くなくなったという趣旨の記事を書いてたので、思うところを書いてみる。
Webのざっくり歴史
(タップで開く)本筋とあまり関係ない記述になった
歴史の話はざっくりとだけ書く。
2000年代のインターネットは革命の連続だった。それは間違えない。URLを知らなければたどり着けなかったホームページが、Google検索一発でたどりつけるようになった。インターネット回線もどんどん速くなって、ハードウェアも安く高性能になっていった。
2010年代も以前としてGoogleはWebのスターだった。変わったのは主戦場がPCからスマートフォンに移ったことで、2010年はモバイルの時代だったような印象がある。Microsoftに負けた会社だったAppleが、iPhoneというプロダクトで大躍進を遂げた。モバイル端末は間違えなく生活を変えた。
そしてSNS。Twitter、Instagram。2010年代の中で、ブログなどの文字サービスが衰退して、YouTube、TikTokなどの動画サービスが躍進した。2010年代後半のキュレーションサイトブームは、ブログにとってトドメだった気がする。
またWeb広告が一つの産業になって、Googleが完全にevilと化した。
2020年、世界的なコロナウィルスの感染拡大で、Web広告を収益にしてたBig Techは巨額の利益を出した。ほぼ全産業がダメージを受けた中で、ステイホームでも生産性も落ちず、需要も爆増したITセクターだけが急伸した。それから、コロナ対策が緩和されて人々が外に出始めると、その伸びは一気にしぼんだ。
全体としてはこんな感じかな。広告とかソーシャルとか、各分野において思っていることを書く。
広告
ネットで稼げるようになった、というのは好ましい変化だと思う。
かつてネットで稼ぐというのはハードルが死ぬほど高かった。Google Adsenseの功績というのは大きい。
スマホの普及で単純に人口が増えたことも効いているだろう。
どこで臨界点を超えたのかはわからないが、Web広告は体験を破壊するようになった。たとえば下記は野球のまとめサイトをスマホで開いた状態のスクショだ。
↑中日ドラゴンズより終わってるファーストビュー
またこれとは別にブラウザバックしたときに1ページ挟まるタイプの広告、別のタブに移動して戻ってくると表示される広告など、往年のアダルトサイトを超えた動きをすることがある。
かつてGoogle Chromeを進化させて、ブラウザで悪いことをする奴らを無効化して、我々ユーザーを守ってきたGoogleは、いまや駆逐した彼らと同じことをしている。戦争の英雄が独裁者になったみたいな悲しい話だと思う。
チーズはどこに消えた?みたいな話で、一度広告収益の味を覚えたまとめサイトの運営者はもうそれなしではサイト運営ができなくなる。巣ごもり需要が消えて右肩下がりになる収益に対して、とにかく広告を増やして、誤タップでもいいからとにかくタップさせることを狙うようになった。
レイオフ
これはBig Techの中の話になるけれど、コロナ終息後に大規模なレイオフがあった。
GoogleやFacebookはどう考えても過剰人員を抱えていたので、どこかのタイミングで人員削減に走るのは仕方ないかと思われる。しかし「技術者が弊社の力の源泉です。皆さんは弊社の宝です」みたいなイメージで売ってた会社が、倒産寸前になるならともかく、単年でデカい赤字出したからといって、バンバン人切ったのは失望が広がった。
ただ技術者サイドも明らかに給料が高すぎたので、その問題もある。Big Tech入ってしまった人は技術発信を一切しなくなるので、中で何やってるかはブラックボックスになる。レイオフされた人が不当だったのか妥当だったのかは知るよしもない。
この辺の一連のやり取りは、かつての「天才ハッカーがGoogleで革新的なWebサービスリリースして時代を変える」みたいな世界観が完全に終息したのを感じさせた。
ソーシャル
ソーシャルサービスに関しては、力を持ちすぎたなと思う。
大手メディアが「町の声」的な感じでソーシャルメディアを引用するし、裏でもっとストレートな意見をエゴサーチして分析するのが当たり前になった。
俺の個人的なTwitterの歴史をたどっていきたい。
Twitterのアカウント登録は2010年頃だったと思う。当時学生で、知り合いは一人もフォローせず、完全匿名アカウントだった。就活が上手くいかなくて文句言ってたらフォロワーが増えて、人と会ったりもした。ネタツイートが多かった。
2014年から社会人になって、依然としてTwitterは使い続けていた。ただ学生時代みたいな一晩で100ツイート以上するとか、攻撃的なツイートしまくるとか、そういう使い方はさすがにできなくなった。会社クビになるような発言は慎むようになった。知り合いもだんだんタイムラインから姿を消していった。俺も思うところあって一回アカウントを消した。
2018年に復活させてからは、責任ある発信をするように心がけた。またフォローする相手も公式アカウントとか、技術者アカウントとか、そういうのを増やして、良質な情報が流れてくるタイムラインをつくった。
これはすごい良かったと思う。
フォロワー数は全盛期の10分の1になったが、結局フォロワー数多くていいことはなかった。いいことをして得たフォロワー数じゃなかったからね。
2020年以降はコロナで世の中が不穏になった影響が、SNSにもきた。幸い2018年からタイムラインをキレイにする活動していたのが奏功して、そんなに不穏にはならなかったけど、それでも一日中何かに激怒している人が発生した。傍から見ると怒るネタを探して毎日ネットサーフィンしてんのかな?という感じがした。普段なら我慢できたかもしれないけど、俺も不安感が強い時期で、さすがにキツかったのでフォローを外させてもらった。
Twitterは最速の情報収集ツールというメイン目的があって、その次に人との交流、自分の成果の宣伝、みたいな順番だった。そこでニュース番組のご意見番みたいなことされるとキツい。
こういうことを俺自身が感じるようになったことからして、「SNSなんだから思ったこと書いていいじゃん」みたいな牧歌的な時代は終わったんだと思う。
コロナ明けからは更に炎上や誹謗中傷にまつわる騒ぎというのは増えて、日替わりで何かが起こってるレベルになった。配慮のある発信というのはマナーというより、自衛の手段という方が大きい。
誹謗中傷
インフルエンサーがネット上で誹謗中傷というワードを使いはじめたときは失笑してたが、今や誹謗中傷がちゃんと社会問題になっているようで、時代は変わったなと思う。
2024/8/15に関根大気選手が情報開示命令申立で、8件のアカウントに処分が下った。
関根選手は4月26日に行われた対巨人戦において、死球アピールで出塁。微妙な判定に巨人の阿部慎之助監督はビデオによるリプレー検証をリクエスト。その結果、判定も死球となった。 この出塁の後、つづく度会隆輝選手が満塁ホームランを打ったことでベイスターズが試合に勝利。当然おもしろくない巨人ファンの一部が、「当たってねーじゃん」「インチキ」「死ね」「キモい」など関根選手に対する誹謗中傷をX上に投稿した。 https://news.yahoo.co.jp/articles/ea3f0549d1857664d9e9339bc41cc1fa84ab6d31 より
処分は10万円払うだけなんで、まあ大した額ではないが、問題は誹謗中傷のラインで、「キモい」「死ねよ」「ゴミ」「消えろ」などのワードで処分がくだったというのがポイント。
小学生か?
小学校の学級会みたいなことをやってるのが今のWebで、そら面白くはない。
面白くないからと言って、じゃあ言論の自由を盾にして、インターネットの自由な発信を守ろう、みたいな気持ちにもならない。誹謗中傷をなくそう、それ自体は正しい方向性だと思う。ただあまりにも学級裁判すぎて萎える、というのもまた本音。
Twitter → X
2022/10/28にTwitterが正式にイーロン・マスクに買収された。
2023/7にサービス名もXに改称。理由は不明。
イーロン買収前のTwitterが良かったこともないんだけど、買収後は本格的に終わってしまった。
タイムラインはおすすめタブとフォロー中タブに分割され、フォロー中ですら時系列で見れず。
インプレッション(どれだけツイートが見られたか)が表示されるようになって、インプレッションが多いと金が発生する収益化プログラムがはじまった。
その結果、おすすめタブには議論を呼ぶツイートが常に入ってくるようになって、俺の方でコントロールができなくなった。
リコメンドベース
おすすめタブの話が出たので、リコメンドベースについて書く。
YouTubeのホームがリコメンドベースになったときは本当にすごいと思った。あとTikTokの動画のヒット率。裏には推薦アルゴリズムがあって、複雑なロジックに基づいてはいるが、他社でも応用が効く。
TikTokの日本でのブームが2018年ぐらいで、YouTubeのホーム変更はいつだったのかな。その前後ぐらいだと思う。
ランキングベースが抱えていた「万人受けするコンテンツに最適化される」という問題を、リコメンドベースは鮮やかに解決してくれた。自分が見たいものを提供してくれる。多くのWebサービスがリコメンド中心になった。
ただリコメンドベースの弊害もけっこー出てるかなと思う。箇条書きで書くと、以下の問題を感じている。
- 同じもんばっか見せられて、変化がない
- 本当に見たいものがドンピシャで来ることがさほどない
- Winner take allシステムがむしろ強まった
- ランキングの方がまだルーキーの登場があった気がする
- 時間が経つにつれて、リコメンドが賢くなるというよりは汚染されてる感覚がある
- プラットフォームが自分が何を見せているのか把握できていない
ランキングベースに戻る、という選択肢もないだろう。あとは人力キュレーションだが、それは更に退化することになる。なので結局自分が追いかけてる人ベースでコンテンツを追うことになる。ただ実際すげー好きな人以外にも、たまにいいのあげるよねぐらいの感覚の人がたくさんいて、そういう人のいいやつをだいぶ取りこぼしている。
マジでもっとヒマだったら、全然ザッピング行為をして、ノイズの中から光るやつを拾う行為をするんだけど、そこまでヒマではないというのが本音。本当はやった方がいいというのはもちろんそう。
つまらなさの真因
以上、つらつら書いてきたけど、自分の中でも何が不満なのかは整理できてきた。
かつてのWebで輝いていた要素が、今はことごとく真逆になっているところが、「Web(IT)がつまらない」と感じさせる真因だと思う。
かつて言われていた言説をいくつかあげてみる。「誰が言ったかよりも何を言ったか」「インターネットの言論の自由」「オープンでフラットなコミュニケーション」「ググればすぐに必要な情報にアクセスできるので、記憶の重要性は下がる」「技術者を自由に遊ばせることで革新的なプロダクトができる」
誰が言ったかよりも何を言ったか
DeNAのキュレーションサイト騒動は、俺の中では衝撃だった。「誰が言ったかよりも何を言ったか」の敗北だなと思った。キュレーション騒動とか村田マリとかについて詳細に書く気はないけど、一つの時代の終わりを感じた。
ソーシャル時代になって、より「誰が言ったか」は重要になっている。Google検索も権威性を重視するようになった。
インターネットの言論の自由
これを今謳ってるプラットフォームはほぼなくなった。
これも俺の中で象徴的な事件があって、2018年にはてなのユーザーだったHagexという人が刺殺された。これで空気が変わって、「インターネットの言論の自由を守れ」的な主張が一気に萎んだように感じる。
プラットフォームからすると、「ユーザーの良識に任せる」という方針を保つことは、トラブルの火種を放置して、ある種の責任放棄にもなる時代になった。
オープンでフラットなコミュニケーション
誹謗中傷の絡みで、オープンな場には配慮が求められるようになった。
本音を言える場というのはリスクが高くなりすぎて、会社のSlackとか身内のDiscordとかでクローズトにやるのが普通になった。ラジオがちょっと伸びてるのもそういう需要なのかなと思う。
クローズトで気心知れたコミュニティの方が、盛り上がるし、コミュニケーションが圧倒的に取りやすい。
「ハンバーガーを食べました。美味しかったです」という投稿に対して、「ダイエットしている人もいるんですよ」「みんながみんな肉を食べるわけではないです」「私は美味しいとは思いませんでいた」みたいなリアクションを想定して、
「(この投稿には肉が含まれる食事の写真が含まれています。ダイエット中/ヴィーガンの方は閲覧注意です)ハンバーガーを食べました。私にとっては美味しかったです」
みたいな予防線張りまくった配慮された投稿しないといけない。会社アカウントならともかく、なんで個人アカウントでそんな配慮しないいけないんだ、という気持ちになる。
そもそも個人アカウントが相対的に弱くなっている。
企業アカウント・芸能人アカウントがある中で、個人の発信というのはなかなか拡散しづらい。拡散するのは問題発言をしたときだけ、という状態になっている。ますますオープンな場で個人が何か発信するリターンはなくなっている。
ググればすぐに必要な情報にアクセスできるので、記憶の重要性は下がる
ググっても必要な情報にアクセスできなくなった。
技術者を自由に遊ばせることで革新的なプロダクトができる
Web技術がある程度コモディティ化したのと、Webサービスの競争が落ち着きつつあるので、普通に常識的な人間を雇って、ある程度の自由を与える環境が多くなった印象。
停滞する時期はある
何事も停滞する時期というのはある。常に面白いシチュエーションにいるためには、その時々で盛り上がってる業界を転々とするしかない。
でも今だとなんだろうね。盛り上がってる業界。AIはもう、ちょっと古い気がする……
この5年ぐらいで感動したプロダクトはNotionとClaudeで、あと仕事で使うことになったZoom/Slackもめちゃくちゃいい。
ガジェットの進化はだいぶ停滞してるかなあ。iPhoneは4世代ぐらい進化してないんじゃないか?
Vison Proもすごいはすごいんだけど、実用性は今のところ皆無なので、様子見状態。
停滞期の中で、もがき苦しんだ結果、どこかでブレイクスルーが生まれて、また盛り上がって、また盛り下がって……を繰り返していくものなので、今はそういう時期なんだと思う。
どう行動するか
だいぶ長い記事になってしまったが、Webの環境というのを自分なりにまとめた。
ではこの環境を前提にして、どう行動するかを考える。
もともと学生時代から社会人一社目の期間は、俺の思考回路は批判的・否定的だった。学者や評論家に近い思考をしていた。一社目は詰め文化の会社だったけど、なぜか「褒める文化にしたい」というお達しがあって、俺もそうなりたいと思って、マジメに考えたりもした。
この時代はポジティブって難しいなーと思ってたんだけど、2024年現在、マジでこの否定的な考えがなくなった。
結局、環境?
自分の生まれ持った個性がそういう思考力なんだと思ってたけど、別にそんなこともなかった。周囲からの影響力というのはバカにならないので、楽観的・肯定的な環境にいればそっちに寄ってくんだと思う。
何かミスったときに「そのミスはこうしたらリカバリーできる」と建設的な思考ができるのか、「なんでそんなミスをするんだ!」と責任問題になるのか。責任問題にする環境で褒める文化を育てるのはムリな気がする。
加点方式を身体化する、というか……なるべくポジティブなフィードバックを周りに与えてた方が、物事が上手くいくことが多いことに気づいただけかもしれない。
ポジティブなときは軽く、ネガティブなことは慎重に伝える、というのは仕事中は特に重視して、それが普段の生活にも影響してきた気がする。いいことだと思う。
2019-2024ぐらいはこのスタンスでやってきて、基本的には上手くまわってた。
誉め殺し問題
ネガティブなフィードバックをほぼ伝えないので、捨象されているものがだいぶある。これをどうしようかなというのが、最近思っていること。
ネガティブなことは慎重に伝える、と上で書いたけど、もっと言うと、伝えなくてもいいネガティブ情報はそもそも伝えない、を選ぶことが多い。これは単に自分が悪者になるのを避けているとか、空気を悪くするのを避けるとか、そっちが大きい。致命的問題ぐらいしか報告してない気がする。
建設的フィードバックを捨ててしまっている。
そして心の中の本音を濾過しているので、そこもまた良くない。
根が純文学徒なので、人間の本当のところは、ポジティブとネガティブが複雑に入り乱れてるものなので、それが表現できないのは、何か正しくないように思える。SNSで人に誹謗中傷するのが自己表現であるとは言わない。ただ誹謗中傷と「正直こう思いました」のボーダーは、あってないようなもので、俺は個人的にはもうSNSに何か良くないことを書かないようにしている。
「xxxマズかった」
「xxx使いづらすぎる」
ぐらいの感想でも、「うんうん、でも、xxxをつくった人が見たらどう思うかな?」になる。基本的にはよかったら書くようにしてる。ブログとかSNSとかはそれでいいんだと思う。
一方で、批判は批判でちゃんとしていかないとと思っている。
なんというか、このままではWebがアフィリエイトだらけになってしまう。テレビと同じ状態になる。そうはなって欲しくない。
Twitterが終わった問題
イーロン・マスク体制のTwitterはヤバいだろうなと予想してたけども、きちんと良くない方向に進んだ。サービスがどれだけ悪化しても、結局フォローしてるアカウントの発言は拾いたいし、自分もフォロワーに発信したいので、むしろがんばって1日1ツイートはするようにしていた。
それでもちょっと厳しいなというのは本格的に感じてきた。
「Twitterを使い続けることが良くない」というのを明確に思ったのは最近になってだ。
自分が光の使い方をしていれば、どれだけ池が濁っても平気だと思っていたが、さすがに週刊誌レベルのツイートが強制的に流れてきて、それに脊髄反射してる人々が観測範囲に入る。おすすめタブを開かなければいいだけなんだけど、暇なときについ見てしまって3回に1回ぐらいめちゃくちゃ嫌な気持ちにされる。
Twitterはアカウントは保つけど、基本的には開かない。Google Newsをちゃんと見る習慣をつける。
時代が戻ることはない
Alt Twitterが見つかればいいんだけど、総合的に見て完全移行できるものはない。Webサービスのつくりだけ見ればBlueskyが一番いいんだけど、いかんせんユーザーが少なすぎる。結局Twitterにサービスとして満足していた時期は一瞬たりともないが、人がいたから使い続けてたんだなというのを最近まざまざと思い知らされている。
自分で短文投稿プラットフォームをつくることも考えたが、結局サービス自体はすぐにつくれる。問題は流行るかどうかだ。
そして仮に流行ったとしても、おそらくTwitterがたどったのと同じ道をたどることになる。つまり慢性的な赤字、サービス改悪、治安の悪化、誹謗中傷への対応……
誹謗中傷もそうで、「昔のインターネットは良かった」という話ではなく、基本的には昔から良くなかったことが改善されようとしている結果、また別の歪みを生んでいる。
リコメンドの結果が気に入らなければ人力キュレーションに回帰するとか、Twitterがヤバければ別な短文投稿サービスとか、昔に回帰したくなるけど、時代が戻ることは絶対にない。戦争で文明が破壊されでもしない限り、時代は戻らない。
温故知新みたいなことが起こったとしても、それは昔への回帰ではない。今出てる二つ折りスマホを見て、「いや昔のガラケーで良かったじゃん!」と言うのはお門違いだ。
インターネットはまた面白くなるかもしれないし、このままつまらないままかもしれない。本当にいつまらなさの臨界点を超えたら、やめて別のことしたらいいし。なんか、ほら。家族や友達を大切にするとか……
終わります。
(了)